女の子を“普通に”好きになった話
嵐とは全然関係ない事なんだけど
自分の思考の整理がしたいのと
誰かの目に止まって何かを感じてくれたら
嬉しいなというふわっとした気持ちの元、
ブログを書こうと思います。
今回のテーマ(?)は
セクシャルマイノリティの恋愛について
でございます。
繊細な問題だと思うので、あくまで一個人としての意見だと思って読んでください。
そもそもセクシャルマイノリティとかLGBTとかって何?というところから入る人もいるだろうから簡単に説明を載せておきます。
最近は「LGBTQ」という言い方をされることが多いのでその説明を…
以下コトバンクより引用
LGBTQ
レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー(生まれた性と異なる性で生きる人)、クエスチョニング(性自認や性的指向を定めない人)の頭文字をとっている。Qは性的少数者の総称を表す「クィア」という意味でも使われている。
(2018-10-15 朝日新聞夕刊2社会)
https://kotobank.jp/word/LGBTQ-1829264
-補足-
レズビアン:女性の同性愛者
ゲイ:男性の同性愛者
※レズ・ホモは差別用語に当たるので注意
他にも色々あるのでURL載せておきます
http://jobrainbow.net/whatissexualminority
こんな感じで、なんとなくわかりましたかね?
わからなかったら聞いてください。
私も当事者でありながらまだ勉強不足な部分はあるのですが、
わかる範囲なら答えます。
正直私も基本的に信頼できる人、またその中でも受け入れてくれそうな人にしか私の性的指向については話してないのですが、
(とはいえ話すのに毎回勇気はいる)
体感では、同世代(10〜20代)の人たちは割と受け入れてくれてるという感じがします。
SNSの発達でそういう人達を見たり、知ったりしている人が多いからなのか、それを学ぶ機会がでてきたからなのか、
どちらにせよ喜ばしいことではあります。
私自身、自分がバイセクシュアルなのかな?と思い始めたのが大学生になってからだからつい最近なんですね。
今思い起こせば小学生の時に女の子にキスしたくなったり、中学生の時に胸の大きい女の子を目で追ってしまったり、高校生の時には〜とか色々、
あぁそういうことだったのかもしれないなということはあったのだけれども、
同性愛・両性愛者の人たちに対してはどこか他人事というか、そういう人たちもいるのかぁ…まぁいいんじゃない?くらいな感じで
まさか自分が当事者になって大変さを思い知ることになるとは思いもよらなかったわけです。
女の子に対してきゅんとしたり、ドキッとしたりしてもそれを恋だとは思わなかったし、
彼氏もいたことあるし、、みたいな。
でも大学生になって、
(まぁ向こうの個人情報というか、彼女は私と違って周りの人には一切言ってなかったそうなので、知られたくないだろうし、色々割愛するんですけど、)
本気で本当に好きだなと思える女の子に出会いました。
彼女も私のことを好いていてくれたし、
それなりに恋人っぽいこともしたし、
2人でいるときはすごく楽しかったんです。
「あーーー!!めっちゃ好きー!」って思ったことは数知れず…(あっ、引かないで、、)
だけど、例えば誕生日プレゼントを選ぶとき、アクセサリーショップに行くじゃないですか。
店員さんからかけられる言葉は
「お友達へのプレゼントですか?」
これです。
「好きな女の子へのプレゼントです」とか言い返せばよかったのかもしれないけど、
わたしにはそんな勇気もなく…
それが嫌で結局通販で購入しました。
またそれが家に届いた時に「何頼んだの?」と同性愛否定派の親に聞かれて咄嗟に「友達の誕プレ!」って言っちゃった時に虚しさ感じることもありました。
ただ“普通に”好きになって“普通に”恋愛してるだけなのになんでこんなに虚しさとか生きにくさを感じなきゃいけないんだろうなっていう感覚がずーっとあって。
それは多分彼女も一緒だったと思うんだけど。
それでも私の周りには「応援するよ!」「応援してるよ!」「幸せそうで微笑ましい〜!」って言ってくれる子がいたから、なんとかなるかな、と思ってました。
先輩から「親に反対されたら俺が全力で説得しちゃるし、精子欲しかったらあげるけん!」って本気で言われたこともありました。
それが今の法律的にどうなのかはわかんないけど
その気持ちが私はすごく嬉しかったです。
大学の特性もあると思うけれど、私は比較的恵まれていたと思います。
それでも窮屈さを感じることはありました。
特に親。
親世代ってどうしてこうも理解がないのでしょうか…
テレビで同性愛者の方々の結婚式とかパートナーシップ宣誓とかの特集を見るたびに
「こんなの認めたら少子化がますます進むじゃん」
とか
「美女同士とか美男同士とかだったら見てられるけどそうじゃないと気持ち悪いよね〜」
とか
差別発言を繰り返すうちの母親。
我が親ながら恥ずかしい……
だけどこう考える人って意外と少なくないんです。
同性カップルの結婚を認めなかったところで、同性愛者の人が異性と結婚して子どもを授かるまでいく可能性ってそんなにないのにね。
ずっと結婚せずにパートナーと歩む人もいれば、
体裁を保つために同性愛者同士で仮面結婚する人とかも実際にいるじゃない?(俺スカがこのパターンだったよね)
そもそも結婚しないという選択肢があるにも関わらず、結婚してない人=人間的に問題がある人と考えてしまうこの世の中の状況がおかしい…
話が逸れました。
戻します。うちの親の話です。
そんな親に直接的に「私女の子と付き合ってるんだよね」とは言えないので、
彼氏はできないの?好きな人は?と聞かれるたびに
「今は(彼女いるから)彼氏いらない」って話したり、同性愛者の話になった時に
「私がそうなったらどうするー?」
って聞いてみたり、は、したんだけど
お察しの通り、
「それだけは絶対にやめて」の一点張り。
親に認められない身分違いの恋…とかありますけどいやいや、何時代ですかって話だと思いません?
だって
相手が犯罪者なわけでもないし、
DVもしないし、ギャンブルもしないし、
浮気を繰り返すわけでもない。
それどころかめちゃくちゃ良い子なのに、
「同性だから」
これだけ。
たったこれだけの理由で、私が好きだと思った人との将来が見えないんです。
それがめちゃくちゃ辛くて泣いたこともあったんだけど。
最近彼女に振られたのね、私。
それでより冷静にその状況を捉えられるようになって、色々考えていました。
親に認められないことについてとか、
同性間ってどうなんだろうか、とか。
そしてその結果。
私は親のために恋愛していたわけじゃないのにどうしてこんなに悩んだんだろう?と不思議に思いました。
だって憲法的に言えば親の許しがなくても結婚ってできるんです。
「両性の合意」さえあれば。
※この両性という表記について解釈の問題があるから日本で同性婚は認められていないのですが、また話が逸れてしまうので今回は触れないでおきます。
もちろん親の援助がなかったら大変なこともあるし、親から許しがもらえない結婚って異性間でも辛いものじゃないですか。
同性の恋愛もそれとあんまり変わらないんじゃないかなと思って。
例えば、相手の学歴を重視する親っていますよね。
だけど自分は学歴は重視しないで人柄で好きになったり顔が好きになったりすることもあるわけじゃないですか。
それで、親に反対されてもその反対を押し切って結婚する人って結構いると思うんですよ。
それが同性間では話は別だというのは差別です。
同性間では子どもを授かることができないからっていう人もいますけど、
じゃあ異性間で妊娠できない体質の人と結婚するのはダメなの?
子どもがどうしても欲しいという人もいるから、そう考える人も中にはいるかもしれないけど、
そこを理由に別れるのは酷いって考える人が多いんじゃないかなと思います。
だって結婚って子どもを産むためだけにするものじゃないと思うから。
だったら好きな人を好き!って言っていいんじゃないかと。
親に話す、話さないは別として。
だって自分が好きになった人と想い合うことって奇跡的なことなのに、
周りの反対を理由に別れるなんて辛すぎません?私は嫌だ。
(ポエムチックになってしまった恥ずかしい…)
だからこれからも、私は親のために恋愛するつもりはありません。
私の人生は私のものだから、
後悔しないために、私が好きになったものに全力で、まっすぐに愛情を注ぎます。
法律が改正されて、同性婚が認められるかもしれない。
同性カップルが養子を迎えることが認められるかもしれない。
もしかしたら、科学技術・医療技術が発達して同性間でも子どもを授かることのできる方法が現れるかもしれない。
全部まだ「かもしれない」だけれど、
上2つは近い未来に叶えられることを信じています。
そうしたらもう少し、同性カップルに対する風当たりも優しくなるかな?なんて。
そのうちそれが“普通”になればいいなと思います。
互いに傷つけ、傷つけられることなく、
愛し合う人達が自由に恋愛できるようになると嬉しいなと思います。
そのために今の私にできることが
このブログを書くことでした。影響力はきっと小さなものだけど。
最初に書いたように、誰かの目に止まって何かを感じてくれる人が1人でもいれば、嬉しいです。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
(やっぱり論理的な文章は書けないな…)